今日は、宇都宮市にある避難所へ行ってきました。
なぜ、私が避難所へ行く事になったのか?
それは、南相馬市の知り合いからの緊急の電話が始まりでした。。
電話の内容は
「南相馬市の避難用バスが明日で最後なので、情報弱者になんとか知らせて欲しい、」
と言う事でした。
かれは、とても責任感の強い人。
ツイッターでも、下のように書き込みをしていました。
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緊急被災地南相馬報告。3月25日、屋内退避者対象に県外避難のバス用意。これが市で用意する最後の避難バス。この避難の説明会を本日(3月24日)13時半から最寄の小学校で実施、ただ原町区の太田・大甕地区の方は原三中へ、鹿島区の方は鹿島中か上真野小。至急拡散願う。
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さて、私は何が出来るのか、と考えました。
そこで思い出した事が、南相馬の人は栃木にも来ていると言う事でした。
その人たちに知らせれば、間接的に南相馬の人達へ連絡をしてくれるのでは無いか?
そう思ったのです。
そこで、栃木県内の避難所を調べようとしたのですが、
30カ所有り、なかなかまとまった情報として手に入りません。
そこで、大きな避難所として鹿沼市と宇都宮市へ連絡を取りました。
どこの避難所も、最初は半信半疑でしたが、その内容を理解してくれて、
情報の書いてあるFAXを受け取り、滞在している人に、知らせてくれると話してくれました。
そんな中、一つの避難所へ直接情報を持って行こうと思ったのです。
学校の近くへ行くと、炊き出しをしているのが見えました。
避難している人が、暖かそうな汁物をいただいていました。
体育館の中では受付が有り、市役所の人が来場者の管理をしているようでした。
各世帯は、少し高めの段ボールで出来た壁でしょうか?それで仕切られていました。
体育館のステージには、毛布が沢山積んでありました。
それでも、これだけ天井の高い空間です。
夜は寒いでしょう。
そこにいる人は笑顔でしたが、本当の心の中を考えると、いたたまれない気持ちでした。
炊き出しは、ボランティアが行っているようでした。
隣には、洗濯機や流しが置いてありました。
それにしても、なぜ避難する場所は体育館なのでしょうか?
教室の方が、暖も取りやすいし住みやすいと思います。
生徒も減り、空いている教室も有ると聞きます。
ここに来ている人達は、本当に不自由をして、不安の中にいます。
少しでもリラックス出来るようにして欲しいものです。
その後、私はお昼を食べようと、ケンタッキーへ行きました。
残念ながら、ケンタッキーは停電でお休み。
そこでマクドナルドへ。
そこでは、音楽が流れ、食事を楽しんでいる人達が沢山いる。
先ほどの景色と全く違う、この現実に、すごい違和感を感じました。
これが現実なのですが、、、、
南相馬市は、明日、市で出す避難の最終バスが出ます。
これから残る人は、食べ物も、燃料もまともに手に入らない環境で生きて行かなくてはなりません。
それがどのような人かと言うと、とても弱い人でしょう。
情報にも、生活にも、移動にも。
その人たちに、何が待っているのでしょうか?
飢餓と言う言葉が浮かんできます。
食べ物も、何も無くなります。
車で、たった2~3時間の場所なのに、私がまったく想像もできない世界となっていきます。
それを、私の知り合いは、私に知らせてくれました。
少しでも、避難して欲しい、本当にそう思います。
弱くない!
強いからそこに居るんだ!