私の会社 「 エスホーム 」が出来て、動き始めた頃、
工事の監督をしてくれていた男がいました。
金沢 孝一
私が仕事を本格的に進めるにあたり、会社を手伝って欲しいと頭を下げに行った人です。
ほとんど0から始めた様な会社です。
当時、積極的に協力してくれる人はいませんでした。
と言うよりも、当時、私が会話をする人は2人くらいしかいなかったのではないか、
そんな時代です。
そんな時に、一緒に仕事をしてくれることになりました。
現場監督をしてもらったのです。
お客様からも、とても頼られました。
「金沢さんに聞くと、何でもわかりやすく教えてくれる、凄いね!」
と言っていただきました。
金沢さんは、
「どんどんお客さんを連れて来ていいぞ!
俺がなんとかするから!」
と、頼もしい事を言ってくれました。
この一言が、どれだけ心強かったか、あの時の事は忘れられません。
一緒に仕事をしていたのは、2012年末まで。
年も行っていたので、体力的にもつらくなっていたのでしょう。
年末に開催する職人達との忘年会、そこは金沢さんの送別会にもなりました。
その金沢さんの訃報を聞いたのは、妻から。
新聞に、名前が載っていると。
まさか、あの金沢さんがそんなわけないと、その時は信じませんでした。
何しろ、誰よりも元気で、焼酎を飲んで、朝4時には起きている男でしたから。
でも、その金沢さんは、あの金沢さんだったのです。
食道がんだったそうです。
見付かったのは2月20日。
その時には、手遅れで、余命1月と言われたそうです。
亡くなったのは、3月9日。
あまりにもあっけない、そんな感じで仕方が有りません。
私は、お葬式等には行きませんでした。
なにしろ、そんな事信じていませんでしたから。
ご自宅へお線香をあげに行ったのが、3月22日
奥様や、息子さんと話しが出来ました。
話すのは、初めてだと思います。
もし、私がお葬式に出ていたら、このお二人と話す事もなかったかもしれません。
奥様と、息子さんと、話しが出来て、2人が知らない金沢さんの事を、
少しでもお伝え出来た事を嬉しく思いました。
私がご自宅に行った日は、金沢さんの67歳の誕生日でした。
このブログを読んでいる方の中でも、
金沢さんを知っている方は少なく無いと思います。
少しでいいのです。
金沢さんの事を、思い出してくださいね。