初めて、慶應大学の三田キャンパスへ行ってきました。

丘の上にある、東京らしい敷地にぎゅっと詰まったキャンパス。

それでも、緑が残っていることにホッとします。

そこで見つけた黄色い建物、それが「塾監局」です。

「塾監局」?

「塾監局」って、聞き慣れない言葉ですよね。

慶應義塾のHPを見るとこのように説明が書かれていました。

「塾監局は、建物の名称であるとともに、義塾の事務全般を担う組織という意味も含んだ語である。ほかではあまり聞かないその名称は、若き日の福澤諭吉が学んだ緒方洪庵の適塾にあった塾監という管理組織に由来するとも考えられている。」

意外にも、最後が「・・・に由来するとも考えられている」と書かれているので、その理由は定かではないらしいですね。

今回は、この「塾監局」の外壁に使われている煉瓦に注目してみたいと思います。

中心にデンと構える「塾監局」

「塾監局」がこちら。

なかなか、趣のある佇まい。
実際に利用すると使いにくそうですが、このような建物を見るとついつい探検をしてしまいます。

「このように建物を見ていると、不審者に思われませんか?」
と言う質問をよく受けます。
家族からは「いつか捕まる」
と言われています。

ハイ、大丈夫です。

不審者に思われて、警備員からの質問など何回も受けているので驚かなくなりました。
建築をやっている人は、学生の頃から不審者です。

「塾監局」を見ている時も、警備員に声をかけられました。
私から「この建物が珍しくてみていました!」と言いつつ、特徴などを話し始めたら「ヤバいやつだ!」と思ったのか、そそくさと仕事に戻られました。
この建物について聞きたかったのですが、何も知らないようでした。

話を「塾監局」に戻しましょう。

珍しい、黄色い煉瓦

私が注目したのは、この建物の外壁に利用されている「黄色いレンガ」です。

レンガと言えば、東京駅や、日本各地にある赤レンガ倉庫などに使われている「赤」をイメージしますよね。

そうなのです。
レンガは赤が主流で、黄色はあまりありません。

と言うのも黄色いレンガは、作るのがとても難しかったそうなのです。

黄色いレンガを利用した建物は多く存在しません。

代表作には、宇都宮にもゆかりのあるとても有名な建物があります。

あのフランク・ロイド・ライトが設計した「帝国ホテル旧本館(ライト館)」です。

帝国ホテルにも、黄色いレンガが使われていました。

この黄色いレンガを製造するのには大変な苦労があり、NHKのTVドラマにもなった程です。

帝国ホテルのレンガの写真は、リクシルのHPで見ることができます。

こちらです。

出典:LIXIL LIVING CULTURE HPより

「塾監局」のレンガがこちらです。

若干の色の差はありますが、柄もサイズもとても似ています。

このレンガの柄を「スダレ煉瓦」と言うそうです。

建築時期も、帝国ホテルと2年違い

もう一つ、特徴があります。

それは、建築時期がとても近いと言うことです。

「帝国ホテル旧本館(ライト館)」は、関東大震災の前1923年に建てられました。

「塾監局」は、前の「塾監局」が1923年の関東大震災により被害を受け、1926年に建てられたそうです。

建築時期も3年と、とても近いですよね。
設計と工事期間を考えると、帝国ホテルができて、震災が起きて、すぐに取り掛かったと考えても不思議ではありません。

どこでも作れるレンガではありませんでした。
同じ窯で焼いたのか!と思ってしまいます。

関東大震災の後ですから建てるのもかなり大変だったと思いますが、その時にこのような貴重なレンガを採用したことにも驚きます。

ちなみに、「帝国ホテル旧本館(ライト館)」のレンガは愛知県で作られて東京まで運びました。
作れる技術者の問題もありますが、原材料の土の問題もあったようです。

「帝国ホテル旧本館(ライト館)」のレンガを作った中に、伊奈親子がいました。この親子が、後の伊奈陶器(INAX)になっていきます。

そのように考えると、この建物の価値が変わってきますね。

ちなみに、現在明治村に残っている「帝国ホテル旧本館(ライト館)」に利用されている黄色いレンガのほとんどは、移築時に新しく作られたレンガだそうです。

設計したのは「曾禰中條建築事務所」

「塾監局」を設計したのは「曾禰中條建築事務所」。

曾禰(そね)さんは、東京駅などを設計した辰野金吾さんと建築を学んだそうです。

大正から昭和にかけては、以前にも紹介したことのがある建築家集団「分離派」などが出てきて、さまざまな活動がおこなわれてきた時期です。

なぜ、手に入りにくこの黄色いレンガを使ったのかはネットからの情報だけでは調べられませんでした。

今のように重機もありません。
関東大震災という、大災害の3年後には竣工しています。
なぜ、大変な時期に愛知から貴重なレンガを運んだのか。

この時代の建築家の激しさを想像すると、ワクワクしてしまいます。

そうそう、私のブログはリクシルの方も読んでくださっています。
というわけで、機会があれば調べていただけると嬉しいです。
お願いします。

福沢諭吉先生

慶應義塾大学では、この方だけを先生と呼ぶそうです。

銅像はあるのですが、銅像に説明やネームプレートは一切無し!

う〜ん、試験に出て間違えたら退学ものなのでしょう。

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