泊まったホテルには、沢山の本がロビーに有りました。
面白いサービスだなとも思っていたのですが、これはサービスでは有りませんでした。
避難して来た人のために「ブックオフ」が寄付してくれた本なのだそうです。
ここにも沢山の方が避難されていたようです。

宿泊したホテルは、「南三陸ホテル観洋」。
このホテルでは、「震災を風化させないための語り部バス」を出しています。
私どもも参加したのですが、バスは一杯でした。
南三陸町等の被災地を説明を交えて話してくれました。
津波が最近多いと言うことで3月11日の前日に避難の打合せをして、全生徒が助かった小学校の事や、南三陸だけで4000世帯が失われた事等を知りました。
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下の写真の建物の、左上の方に青いマークが有るのが分かるでしょうか?
3階部分の天井付近ですが、そこまで水が来たと言うことが記録されています。
この建物は結構内陸に入っていたので、驚きです。
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この建物は、最後まで避難のアナウンスをしていたと言うことで有名になった建物です。
多くのバスがより、ある意味モニュメント的になっていましたが、9月までには解体されるようです。
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説明していた方が強調していたのは、最後までマイクを握って避難の放送をしていたのは男性だということです。
報道などで女性のアナウンスの方が有名ですが、「最後は女性ではなくて男性なんですよ、放送途中で終わってしまったんです、」と言っていました。
下の写真は、南三陸町にある商店街です。
電気屋さんや、ケーキ屋さん、お酒屋さん、床屋さんまで有ります。
お土産用の商店街ではなくて、生活する人のためのお店が並んでいます。
固定の建物ではなくて、全て仮設の建物でした。
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この建物も、屋根まで痛んでいます。
こんなに上まで水が来ているんですね。
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南三陸町は、町が無くなってしまったのではないかと言う印象を受ける位の被害を受けていました。
解体も進み、今年の秋には沿岸部の漁業関係の工場を除き、本当に何も無くなってしまいます。
岩手県沿岸部を走っていた南三陸鉄道は、今でもまったく復旧が進んでいません。
いたるところで橋が落ち、その難しさを感じます。
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気仙沼では、内陸まで運ばれた船が今でも放置してありました。
写真で見る以上に大きな船です。
下には、車が潰されていました。
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上の船のすぐとなりに駅が有りました。
一見キレイですが、線路が曲がり列車は来ません。
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気仙沼の町の一部も、なにも無くなっていました。
まだ、町の一部が残っているだけよかったのかもしれません。
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お昼をどこで食べようと悩んでいました。
とりあえず、陸前高田へ行って食べようと思っていたのです。
まずは、道の駅で休憩と思っていたのですが。
着いた道の駅が、下の写真です。
まるで、「猿の惑星」の最後の自由の女神のシーンを見るようでした。
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陸前高田も町ごと無くなっていました。
有るのは、復旧したガソリンスタンドだけです。
4人が歩いているのは、震災前はきれいな松林が有ったはずの場所です。
今は、岩で波が来ないようにされていました。
昔の面影は全くなく、とても残念でした。
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下の写真が津波にも唯一残った「一本松」です。
もう枯れてしまったのでしょうか?
塩に漬かった多くの木が枯れていました。
海水って、強いんですね。
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町営住宅でしょうか?
4階部分までが完全に破損しています。
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陸前高田ではお昼が食べられなかったので、大船渡でお昼を食べて、この社員研修は終わりました。
移動するたびに、驚きとため、そして亡くなった方々、残った方々の無念をとても感じました。
そして、復旧がまったく進んでいない事を知りました。
色々な事情が有ると思いますので、とても難しいとは思いますが、1年3ヶ月経って、更地にするのがやっとと言う感じです。
予算も、権利関係も複雑に絡むので、致し方が無いとは思いますが、もう少し復旧していると感じたかったです。
社員のみんなも、口数が減っていました。
色々と感じてくれたのだと思います。
それにしても、私は何も知らなかったんだなと思いました。
テレビや新聞は読んでいるつもりでしたが、どこでどのような状況になってたのか、まったく分かっていなかった事が良くわかりました。
まだまだ、岩手に対する支援も必要でしょう。
何か、協力が出来る事が有れば、みんなで行動して行きたいと思います。

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