本名「光本 幸子」さん、私の中では「冬子さん」。
「男はつらいよ」第1作の初代マドンナ、と言われています。
帝釈天の御前様の娘さんを演じていました。
凛とした感じ、と言うのが合っているでしょうか?
着物姿がとても美しかったです。
この作品は、1969年、私が2歳の時の映画です。
なのに、なぜ思い出深い人になったのかと言うと理由があります。
私が、ワーキングホリデーでニュージーランドにいた時、ボランティアをしたのがきっかけです。
日本の学校に行かなくなった学生をニュージーランドに住まわせて、現地の学校に通わせているところが有りました。
中学2年生から20歳くらいまでの子供を預かっていたようです。
学校になじめなかったり、親が離婚してと言う理由の子供もいました。
生徒は、まったく私に無関心な子もいれば、まとわりついて来る子、自分の体を傷付ける子もいれば、入れ墨を体中にしている子供までいました。
そこのイベントの一環としてニュージーランドで一番大きな街、オークランド、その中心に有る歴史有る劇場のタウンホールで劇をやると言う事だったのです。
その劇の運営を手伝って欲しいという事。
ボランティアなのでもちろん無償ですが、何か役に立てる事をしたいと助っ人を申し出ました。
その時の劇が、「男はつらいよ」第1作だったのです。
この時までに、何作か「男はつらいよ」は見ていましたが、1作目はまだ見ていませんでした。
劇の前に、ビデオを借りて初めて見た1作目。
あまりの素晴らしさに、感動した事を今でも覚えています。
「スイカの名産地」に「枕とさくら」それ以外にも、笑ったり泣かせたりと言う名シーンが沢山有りました。
そして、博の出生。
彼は、親と喧嘩して北海道の旭川から飛び出して来ていたんですね。
あの博と、私も同じ名前、その上、親と喧嘩して家を飛び出していると言う、とてもその時の私に似た状況であったためより気持ちが入り込みやすかったのだと思います。
特に、博さんとさくらさんの結婚式のシーンは、大好きです。
あの時の寅さんもいいな〜〜〜
練習とかで3〜4ヶ月程かかったでしょうか?
踊ったり、演じたり。
私も、裏方のつもりだったのですが、少しだけ出演しました。
ちゃんと顔にはドーランも塗ったんですよ。
子供たちとの劇も無事?終了しました。
下の写真は、練習風景です。
寅さんだけは、日本語ペラペラのニュージーランドの人が演じました。
  (写真手前に立っている人)
さくらさんは、中学2年の女の子。
Practice3.jpg
下の写真は、街中で撮った写真です。
all.jpg
懐かしいですね。
楽しかったな!
もう、みんないい大人になっているはず。
元気で頑張っているといいな!

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