お客様や、職人さんからお預かりしたお菓子等を、石巻の子供たちに贈って来ました。

今回は、色々とお話も伺って来ました。
写真を見せていただいたりしたのですが、ここには書けない事も沢山お聞きしました。
この方は、元々は南三陸にお住まいだったのですが、津波で家を流されて石巻の奥様のご実家に避難されています。
その避難先自体も、多い時には20人程住んでいたそうです。
食べ物も無く、海水に浸かったお米も食べたとか。
しょっぱかったと言っていました。
水も無く、近くに有る川の水位が高かったのでそれを汲んで使っていました。
お風呂も、震災後3週間から1月位は入れなかったそうです。
お風呂が入れるようになると、近所の学校等へ避難している人たちが、お風呂を借りに来たそうです。
近くの薬局が開いた時には、8時間も並んだそうです。
震災後、役所等に物資をもらいに行っても、避難所ではないこの方達には何も物が渡されなかったそうです。
女の子供が3人もいて、とても心細かったでしょう。
最初会った時に怪我していたご主人も、今はなんとか仕事をしているとか。
この日も仕事で帰りが遅くなるとの事でした。
最近は、やっと漁にも出れるようになったそうです。
でも、一つ問題が。
せっかく穫って来た魚を買ってもらえないんだそうです。
理由は、放射能の問題。
福島第一原発からは150kmくらい離れています。
ここら辺ではその問題は無いのかと思っていたのですが、まだまだダメなようです。
3人姉妹。お姉さんは、難しい年頃。
そんなある日、奥さんが子供たちのこそこそ話を聞いてしまったそうです。
「お菓子を欲しいと言ってはダメなんだよ、、、」
えっ、て、凄く胸が痛んだそうです。
今までも、子供なりに大変な事を理解して、協力してくれていたのは感じていたそうですが、さすがにこの言葉は心に響いたんですね。
それが、私との出会いにもなりました。
もう、震災から2年と2ヶ月が過ぎています。
しかし、お伺いした限りではまだまだ先が見えないと言う感じでした。
これからも、お役に立てる事をして行きたいと思っていますので、ご協力をお願いします。
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